「正解」と「間違い」

最近、「正解」と「間違い」についてよく考えるんだ。

日々、間違いを指摘されるプレッシャーに悩み、かと思えば他社に間違いを厳しく指摘してしまうことに悩み、それも間違いなんじゃないか?と悩むから。笑 いつでも正解だしていきたいけど、そうもいかないもんだよね。

考えて考えて、思ったんだけど。正解ってすごくぼんやりいているものなのね。

ぼんや〜りしていてよくわからないけどどこかに境目があって、境目から外に出ると「間違い」を指摘されるイメージ。

 

間違いってなんで必要なのかな、って思って

ぼんやりとした正解っていうものに輪郭を作るために間違いが必要なんや!って腑に落ちた。

正解っていうものがぼんやりとしていて、実は誰も輪郭を知らないのだけれど、おそるおそる線を引いて「ここじゃない?」って顔を見合わせているものなんだ。

「間違い」のラインは人それぞれ違ったり、場所や時代によって変わっていって、それぞれの正解の輪郭を作っている。

正解の枠から飛び出しちゃうのが不安だから、一生懸命間違いのラインを引くけど、それって結局誰かが引いたものだから絶対ではない。でも、どこかで引かなきゃどうしようもない。

だから気にすんなって話にはならないけど、曖昧で頼りないものに頼って生きてる自覚はした方がいいよなぁ。だから、「ごめんなさい」と「ありがとう」がとっても大事なんだと思う。

 

いつもごめんね。本当にいつもありがとう。